

聞かせてください


完全無党派。だから、公平公正
練馬区長は、相手の所属によって扱いを変えることは、許されません。特定の組織の意見を優先すれば、後回しにされる人が出てきます。
私は、「誰」がではなく、「何」を言われたかで判断します。
公平公正に受け止め、区民の思いを自分事のように考える区長が、必要です。だから、完全無党派・完全無所属なのです。
区長に必要なのは、豊富な人生経験
区のトップは、日々の暮らしの改善に、力を注ぐべきです。
そのために必要なのは、豊富な人生経験。私は妻を亡くし、シングルで3人の子を育て、幼稚園経営で多彩な子ども達と触れ合い、会社の経営では資金繰りや人の問題で苦労もし、祖母を104 歳で看取り…。
子育て、仕事、介護など、生まれ育った練馬区で多くの経験をしました。
だから、同じ立場の人の気持ちがわかる。本当に必要な支援を理解し、実行していけるのです。
息をするように、練馬のために。
遡れないほど先祖代々、生粋の練馬人です。幼稚園、消防団、水道組合、商店会、神社、町会…地域には様々な「しごと」があり、息するようにあたりまえに、まちとともに生きてきました。
妻を亡くし…3児のシングルファザーに
結婚後、3人の子どもを授かりました。家族5人の幸せが、あたりまえに続くと思っていたのに…突然、妻が他界。子ども達はまだ小・中・高校生でした。仕事に加え、育児、家事、料理に弁当、部活動の応援に受験…大変と感じる暇もないほど、無我夢中の十数年。そんな日々を支えてくれたのは、友人、ママ友、家族でした。だからこそ、今子育て中の方々の苦労も、すべきこともわかります。多くの人に支えられた感謝を、次の世代への支援として、形にしたいのです。
前回区長選、2千票の僅差。
地元の多くのつながりから、声がかかったのが前回の区長選。結果は、得票率1%の接戦で、惜敗。「皆さんが叶えたいことが実現できず、申し訳ない」…率直な思いでした。
声を聴き続けた4年。
選挙を機にさらに多くの方に出会い、「無視された声」を聴いてきました。再挑戦を決めていたわけではありませんが、そうなっても恥ずかしくないよう、区政のことも学びながら、生きてきました。
私しかいない…だから、もう一度!
区議会は本来、与党も野党もない、同じ区民の代表です。しかし今の区には、一部の声しか届きません。一方に偏るということは、限られたパイの中で、どこかが削られるということ。削られるのは、基本的に声の届かない人たち、弱い人たちです。
どちら寄りとか、どの組織かではなく、平等に、みんなのためになる区政が必要です。私は、所属ではなく、事実でしか判断しません。練馬区のことで困っている人がいるなら、やるだけです。偏りようがありません。だから、現実的に、私しかいないのです。
自ら、声を聴きに行く区長に
私なら、現場を知る区職員から、直接話を聴く、風通しのいい環境をつくりたい。役所内や地域施設をまわり、時には窓口で自ら対応もしたい。「区長室廃止」を政策に掲げるのも、部屋にこもるより、皆さんのもとへ出向く時間をつくりたいからです。
これまで届かなかった声を施策にすれば、練馬区はもっともっとよくなります!
多くの若者が、新しい技術やアイデアを次々生み出す現代。
概念にとらわれ、「できない」で終わらせるのではなく、
「できる」を前提に、問題を解決する。
当然のことができていない今の練馬区を、根本的に変えたい。
そして変えられるのは、私しかいません。

「完全無所属」の理由。
AIをはじめとした技術の進化、いつ起こるかわからない自然災害で、先の読めない時代。そして多様性の時代において、教育も、職業や働き方も、家庭環境や人間関係も、そして人々の価値観も、急速に、大きく変化していきます。
そのなかで区長は、区民の皆様から寄せられる様々なご意見や課題に幅広く耳を傾け、安心・安全の確保、緊急性・重要度の高い案件を最優先にした区政に取り組むべきと考えます。そのために、特定の立場に偏らないことが求められます。
その思いから、完全無所属で挑戦します。
組織ではなく、練馬区民お一人お一人のご推薦・ご支援を頂けるよう、全力で取り組んでまいります。

区民の皆様の声をもとに、できた政策です。
これからも皆様の声を伺いながら、バージョンアップしていきます。
あなたの声を、吉田健一にお寄せください!
子ども・子育てを守る!
教育をあたらしく!
★給食1食あたりの予算、23区トップへ!
★教育費無償化へ(制服代、修学旅行費、教材費等)
★練馬区独自の大学給付型奨学金を創設
★すべての子どもにフィットする学びの場を作る!
(多様な学校づくり、フリースクールや居場所の補助、自宅学習支援等)
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- 親子を苦しめる学校統廃合はSTOP!(小竹小、豊渓中等)
- 教職員の負担を軽減(支援員や司書の加配など)
- 一時預かりの拡充など、在宅子育てをサポート
- 保育・学童の待機児解消と、質の向上(保育士の待遇改善等)
- 区立保育園の廃園・民間委託を見直す
- 虐待や性暴力防止(第三者機関の設置、包括的性教育等)
- マイノリティや障害を持つ子どもの支援を手厚くし、ともに学べる環境を整える(学校への専門家の派遣等)
- 『練馬区子どもの権利条例』を子どもとともにつくる。第三者機関を設置し、実効性を持たせる
医療・福祉や働き手を守る!
★福祉を支える職員の待遇改善(区独自の家賃補助など手当の拡充)で、人材不足を解消
★住み慣れた家で暮らし続けられる在宅医療・介護の充実(連携強化等)
★障害者の雇用を守る企業への区独自の補助制度
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- 高すぎる国民健康保険料の見直しを国に求める
- 賃金を上げる対策を強化(非正規公務員の待遇改善、公契約条例の制定など)
- 要介護度に関わらず、安心して暮らせる支援を
- 高齢者・障害者も、望むところへ行ける移動の保障(通院や最低限の買い物だけでなく、余暇にも使えるヘルパー利用等の移動支援を拡充)
- フードバンク、こども食堂と協働。財政支援も手厚く
- 低すぎる区管理職の女性比率を向上
住まいや交通手段を改善!
★高騰する家賃や更新料等の補助で、現役世代も住みやすく。物価高対策にも効果的!
★全国に先駆け、自動運転バスも導入をめざす!
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- 保証人制度を創設し、高齢者等の独居を支える
- 空き家対策には、リフォーム補助を。住居に困っている人に、貸し出す仕組みをつくる(居住支援)
- みどりバスの増便に取り組む
- 駅ホームドアやエレベーターの設置を推進
地域を守る! 災害から守り抜く!
★公園トイレを災害対応型に
★ガソリンスタンド等と提携、災害時のエネルギーを安定供給
★災害に弱い地域の火災対策
(消火器設置、ガスからIH・石油ストーブからファンヒーターへの買換え補助)
★町会・地域コミュニティの支援強化で、防災力も向上
★商店街での起業支援等、地域経済もアップグレード!
★買い物不便地域の移動販売の補助!
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- 歩ける範囲の公共施設を守り、地域の居場所に。孤立を防ぐ
- 耐震改修への補助金を拡充
- 区民とも力を合わせ、水害に強いまちに(土で雨水を吸収させる「雨庭」への助成金で、区民と協力し、水害を防ぐ仕組みづくり)
- 大型道路・巨大再開発・ハコモノ区政からの変革
※稲荷山公園、大二中を分断する補助135・232 号線、外環の2、青梅街道IC、桜台東部地区防災道路…他も区民の声を受けて見直す - 150 億円以上の練馬区立美術館の改築計画は中止
みどり・環境を守り、次世代へ!
★農地の買取り、予算2倍に。実質的にみどりを守り増やす!
★気候危機対策として、省エネリフォーム、住宅の断熱化の補助金を拡充(持家も賃貸も)
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- 都市農業の継承、発展を支援。障害者も活躍できる農福連携を
- 地産地消の給食に。オーガニック給食も推進
- リサイクル事業者への補助金を増額し、人手不足解消へ
- 高断熱化+省エネ設備で、CO2排出ゼロの区立施設へ
あなたの声を活かす!
★区長室を廃止。対話型のひらかれた区政へ!
★区長と区民・職員の直接対話の場を開き、施策に反映
★区長の高額退職金(4年で2千万)をカット。練馬区独自の大学奨学金を創設
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- こども・若者や区民が直接参加できる会議の創設で、あなたの声を区政に!(「こども若者会議」、区民が事業提案する「区民参加型予算」、無作為抽出で選んだ区民と気候危機やまちづくりについて一から話し合う「気候区民会議」「まちづくり会議」)
- 3期以上の区長の多選は区政の固定化を招くため、反対
- 当事者の意見を入れたユニバーサルデザインの施設づくり
- パートナーシップ条例、ファミリーシップ条例、ヘイトスピーチ禁止条例の制定。当事者が不利益を被らない実効性ある仕組みに
- 練馬区の「非核・平和都市宣言」の理念を未来へつなぐ。ねりまの戦争体験を語り継ぎ、平和を守る
プロフィール
- 1967年、練馬区田柄に生まれ育つ。
早稲田実業中・高、早稲田大学社会科学部卒。 - 経営者。
練馬みどり学園(田柄幼稚園)理事長、グアム語学学校(i-Terras)副社長他、区内外の企業を複数運営。
議員秘書経験もあり。 - 地域貢献活動も多数。
光が丘消防団本団部長、光が丘災害予防協会副会長、田柄町会理事、田柄町水道利用組合理事長、他。 - 子育て時期に妻を亡くす。家族は母・子3人・猫2匹。
- 趣味:料理、お酒、旅行

呼吸をするように、考える前に。
「地域貢献」はアタリマエ。


田柄幼稚園の理事長職も10年目。
年末恒例の餅つきでは子どもたちの笑顔がなによりの楽しみ。
光が丘消防団は15年目。
災害時の対応もおまかせを!


年越しの料理は、毎年趣向を変え、楽しんでもらえるように工夫!
資源回収事業の友人の手伝い。現場から見えるものがあります


地元・愛宕神社の世話人。
年末の大掃除やお祭りなど、様々な行事で動いています
新年を告げる太鼓打ち


フードバンクにも協力
2022年練馬区長選挙に立候補。多くの支援を頂き、
感謝しています。

吉田健一のあゆみ
祖父母、両親、妹2人の7人家族の長男として、愛されて育つ。 祖父は田柄幼稚園の園主。
父は田柄で出光ガソリンスタンドを経営
祖父が創立した田柄幼稚園に、当然ながら入園。
足が遅く、運動会は嫌い。ただ、なぜか障害物競走だけ速かった。
私立淑徳小学校に入学。
一言でいえば、「明るい変わり者」。
先生も変わり者で、ある授業では、 「席を立って顔を洗ってくるように」言われる。 「それを見てみんながどんな反応をするか、 それを議題にしよう」 という不思議なテーマだったことも。
変なことをしてもおかしくない、変わり者、という扱いだった。 その先生とは今でも仲がいい。
勉強はクラスで3番目。 4番でもなければ、2番でもない。
運動は、変わらず苦手。 習い事はピアノ、習字。 なんでもやりたがった。
部活があり、「交通部」に所属。 低学年を誘導する係で、 4-6年まで3年間続け、表彰された。 小さい頃から面倒見がよかった。
中学校受験をし直し、早稲田実業学校中学部(早実)へ入学。
学校のレベルが上がり、勉強はできないほうに…。 頭はよさそうに見えるらしく、そのギャップでさらに苦労する。
一時期、新聞部に属したが、基本的には活動せず。 16時からの『水戸黄門』を見たさに、急いで帰っていた。
早稲田実業学校高等部へ、そのまま進学。
いろいろなタイプの友達が、偏りなくいた。 仲良しの友達が不登校になり、家にもよく遊びに行った。 行けない理由を聞いて納得していた。 大学進学後、その友達が通信に通うようになり、2年間送迎を続けた。
高校生でもミニカーで遊んでいた(親は心配したかもしれない笑)。 得意科目は社会、地理・地学。 苦手科目は数学、英語(※今ではそこそこしゃべれる)。
私早稲田大学社会科学部に進学。
あまり学校に行かず、バイトの他、車であちこちへ。
大学3年の頃、上野定雄区議(当時/議長も務めた重鎮)の後継の話が出る。
「勉強してこい」と、吉田公一都議会議員(当時)を紹介され、バイトとして議員秘書を始める。
※ちなみに、苗字が同じなだけで、親戚ではない。
運転手の仕事が多かった。 議員を議会まで送ったのち、スーツで黒塗りの車で大学まで通った思い出。
そちらの仕事が楽しくなり、あわや留年の危機。 なんとか、無事卒業。
議員秘書時代の5年で、人生が変わる。(大学時2年、卒業後3年)
「こんなにも魅力的な人がいるんだ」 と、政治の世界に魅了。 吉田公一氏から習ったことは、人生に大きく影響している。
たとえば、たくさんの陳情をすべて話を聞き、全部に応えようとする。 いいことも悪いこともきちんと結果を伝える、逃げない姿勢。 ほったらかしにしたところを見たことがない、面倒見のよさ。 細やかに気をつかい、電話番のスタッフまで気配りする。
休みは年2-3日しかなく、ずっと一緒にいるうちに、自然と同じような面倒見や気配りを身に着けていった。 雨でも車の外で傘をさして待ち、本人が現れたらさっと乗れるようにスタンバイするのも、まったく苦ではなかった。 運転手、議員秘書は天職だと思ったほど。
気配で何を思っているかわかるようになった。 不機嫌になると下が萎縮するので、そういうことはしない方だった。
今でも命日には毎年、お線香をあげに行く。
自分がどこまでやれるか試したくなり、司法試験をめざす。 まったくできなかったわけではないが、届かず。
「弁護士になるより、働いて弁護士を雇えるようになろう」 と、1年で切り替える。
それでも、司法試験を受けたことは、今でもいい経験だと思っているし、実際に役立ってもいる。
親が経営していた練馬区内のガソリンスタンドで、現場の社員として働き始める。
30歳の頃、いつの間にか社長に。 税理士から「社長になっているよ」と言われ、驚く。 そこから経営の立場へ。
20代後半、都知事選挙の選挙事務所に出向していた際、アルバイトの女性と出会う。 「どこがよかったんですか?」と聞かれたら……「すべて」。 約1年の交際を経て、結婚。
長女、長男、次男を授かり、幸せな日々。
子どもの思い出はいろいろあるけれど…… 長女が幼稚園に行きしぶり、なんとか送っていた。 今思えばそれがよかったかわからないが、 連れて行けば、娘は園で楽しんでいた。
子どもはかわいかったし、今でもかわいい!
38歳の時、妻が突然、うつ病を発症。 原因はわからないまま。 本人にもわからなかったと思う。
20年前は、「うつ病はなまけ者」と誤解されることも多く、情報も少なかった。 いろいろ調べ、病院に連れて行ったり、入院など……
その間、ごはん、弁当、家事や、子どもの面倒も見ていたが、苦労をあまり思い出せない。 こういう時、辛いことは忘れる性格でよかったと思う。
当時、ガソリンの輸入が自由化され、ガソリンの値段が80円台まで下がり、どこの会社も赤字に。仲間と借金の話は当たり前の時期だった。元から借金がある状態で事業を継承したが、借金が膨らむ。
それが原因で、うつ病に。 妻が同じ病気だったので気づいてくれ、病院に連れて行ってもらう。 うつ病の人は、周囲にうつ病がいると助かるのだと知る。 薬が効き、すぐに好転。
今もガソリンスタンドの経営は厳しいが、長く支えてくれる社員もおり、地域に必要な施設でもあるため、今後もやめるという選択肢はない。
44歳の時、妻が急死。ショックというか…… いろいろな感情があり、言葉にできない。
仕事に加えて、 料理、お弁当づくり、掃除・洗濯等の家事一切、 子どもの学校の行事、部活の応援などなど、全部を担う。
仲間、家族に助けられる。
妻の代わりに学校の役員になったため、
ママ友からわからないことを教えてもらう等、本当に助けられた。
制度や学校のことなど、あれこれ調べたり、学校や塾の面談や見学付添いなど、時間(とお金)を3人分費やす。 頑張ったのは、やはり、子どものガッカリした顏は見たくない、子どもの喜ぶ顔が見たいから。
3人とも志望の学校に受かり、安堵したものの…… 子どもよりドキドキしたかもしれない。 自分の試験より嫌。 二度としたくないものの一つ。
今は3人とも社会人になり、しっかり働いてくれています。ちなみに、子どもは怒らない主義。たとえば、洗濯物がひっくり返したままぶん投げてあっても、何も言わずに洗濯。子育ては我慢、忍耐力との勝負!

長男が中学生の頃、長男が通う学校に、猫が迷い込む。ガリガリで痩せて、狂暴…「うちに連れて帰る」と長男が手をあげて、連れ帰る。 もちろん、長男を褒める!
娘がもらってきた猫もいて、今は2匹。 亡くなった猫が3匹。3匹とも、亡くなった妻がもらってきた。
2014年、父が急死。享年72歳。
2021年、祖母は104歳の大往生。
父のほうが祖母より先に亡くなり、老々介護の問題を身に染みて感じることに。
小さい会社だから、正直に言えば、大変。
同じように、練馬区に小さな会社はたくさんあり、 本当に大変だと共感するし、 行政からの支援が手薄なことも知っている。
ニュースで「人手不足」というが、 本当に人手不足の現場を持つと、わかることがある。
平均の初任給や、大企業の平均等いろいろ報じられるが、 「平均」ではわからない。 小さい会社のことをわかっていない人が多いとは思う。
それでも楽しい。 社員がずっと慕ってくれ、辞めないでいてくれること。
社員がトラブルになった時、「戻ってこい、面倒見るから」と手紙を書いたこともある。今でも働いてくれている。
やった分応えてくれる社員ばかりなので、楽しい。
卒業後、吉田商店一筋40年以上勤めた社員を、数年前に社長に任命。
「頑張れば社長になれる会社」にしたかったので。
地元のつながりから声がかかり、迷った末に出馬を決意。 母親にはなかなか伝えられなかった。
子どもは「やりなよ」という反応。 地元のために働くことは、体に染みついたあたりまえのことなので、まちのため、みんなのためと挑戦したが、結果は2千票の僅差で落選。 もちろん悔しいが、選挙を通じて得た新たな出会いもあり、後悔はない。
職業政治家ではないので、再度出ると決めていたわけではない。ただし、もし出ることになっても恥ずかしくないように生きてきた。 区民主催の様々な勉強会に出るなど、パワーアップしている!

















